プロフィール

岩崎貴博

iwasaki takahiro

1975年福岡県北九州市生まれ(2100gの未熟児)。九州国際大学付属高校、別府大学文学部史学科卒。
大学時代に薬害エイズの問題にとりくみ、共産党に入党。卒業後は民間病院の事務のかたわら、労働組合運動に取り組みました。妻と息子、娘の4人家族。

4人家族

family

1975年10月21日、父、母、姉4人家族に産まれました。子どもの頃は骨折続きのやんちゃ坊主、負けず嫌いの性格をもちつつ、忍耐とガッツと粘り強さが持ち前になりました。

部活、バイト、旅行

pastime

中学は野球部。野球は上手ではなかったですが、足は速かったので、陸上部の駅伝の助っ人に選ばれることもありました。助っ人で出た駅伝大会では体調不良でぶっちぎりの最下位。大迷惑をかけました(泣)。
高校の時には弓道部でしたが、なぜか筋トレや長距離走などの練習が多かった部活でした。そのためか、意味のよく分からない事でもコツコツと頑張る習慣がついたように思います。新聞部にも入部し、他校取材と称して、県下の複数の高校を訪問・取材させていただきました。高校によって校内新聞の位置づけがマチマチで、お茶菓子が出てくるような手厚く応対してくれる学校や、ほったらかしでパンフだけ渡され、校内を案内して終わるような学校もあり、いろいろあり、面白かったです。

別府大学時代:仕送りがなく、とにかく貧乏。アルバイト(お弁当屋さん)でお金を貯めて、中国旅行に行ったりもしました。三国志のハイライトの一つ、諸葛孔明が亡くなった五丈原という、とんでもない田舎にも行ってきましたが、現地の子どもから激しくジュースをせがまれ、しかたなくあげると、20人くらいの子ども達が集まってきて大変なことになったことも。

社会人になってバイクで旅行も。現地の方々と交流しながら、お城巡りに出ています。

日本共産党での活動

activity

日本共産党は、先の大戦において、最後まで命がけで侵略戦争に反対した政党です。社会経験をへて、「政治による貧困と紛争のない世界をつくる」ために、私は日本共産党をとおして、街頭での労働相談や、市政・県政との交渉、そして、もっとも大切なこととして、労働・雇用問題に取り組んできました。
「お父さんの帰りが遅いから8時間働けばふつうに暮らせる社会を実現してほしい。」
いただいたこのメッセージを胸に「8時間働けばふつうに暮らせる社会へ」向け頑張ってきました。
「夜勤続きで、(看護師の)お母さんが家にいない」
「帰ってきて玄関で座り込むお母さん。せめてベッドでゆっくり寝て欲しい」
この活動の中で、親の長時間労働、看護師、保育士や教員の劣悪な労働環境は、子どもたちをも犠牲にしていることを痛感。女性たち、母親たち、そして子どもたちの声を受け止め改善を求めてきました。

地方議員になってからも、多額な納税による担保差し押さえの問題では国税庁に、教科書問題では文科省に、ばいじん問題では環境省に、地域のさまざまな問題や課題に対して、日本共産党の国会議員や地方議員団と一緒に、改善のために力を尽くしてきました。