父親再生

「父親再生」

信田 さよ子著

今から約10年前の作品です。久しぶりに読んでみましたが、私自身、この間結婚し、今では二児の父親となりました。どのような心理的変化があるのかもこの本をとった理由です。

著者はDVや家族問題などを専門とするカウンセラーです。本書では様々な『問題ある家族』、とくに『問題ある父親』が語られますが、一番衝撃的だった事例を紹介します。

  • 彼(タカシさん)の父親は、受験期よりずっと息子の勉強に積極的にかかわり、病弱な妻のかわりに授業参観から塾の送り迎えまでも引き受けていた。
  • (略)タカシさんの問題行動に対しても、何度も高校まで出向き、担任と話し合った。
  • (略)タカシさんと子連れ再婚の妻との生活が始まった。父親は、「君が幸せになるのなら」と、どのような選択であっても文句を言うことはなかった。
  • (略)タカシさんの父は、どうしようもない息子を赦し(ゆるし)、寛大であり続けることで、息子から可能性を奪った。否定的な父親像を一切示さないことで、父を否定する可能性を逆に奪ったのだ。

10年前はリアリティがなく、読んでも響かなかった箇所が、今回は一番印象に残りました。この父親は虐待をしています。全てを赦し、神のように振る舞いながら、確信的に自分が責められないように、子育ての責任から逃れています。悪い人やなぁと思いつつも、ちょっとだけこの父親の気持ちも分かる自分もいます。仕事の責任と家庭の責任を両方果たすことは難しいです。しかも男には『家庭は妻の領域』という、明治期に形作られた独特な家庭論がはびこっており、逃げやすい雰囲気もあります。

一方女性は、仕事も低賃金、家庭でも責任放棄した夫との生活で疲弊しています。社会を変えること、そして、家庭での責任を、逃げずに向き合う父親が大勢になること。その両方が進まないと、このような問題は解決しないと思います。

  • 本書では「あるべき父親像」として立派な目標を掲げることはしてこなかった。外部の基準に沿って父親像を構築することはリアリティを失っており、そんな基準など風化していると思う。(略)洗練された民主的な父親像も、それがあるべき姿として理想化されたとたんに一種の欺瞞として息子を苦しめることもある。代わって登場したのが、「愛される父親」だ。妻や子供から慕われ好かれる父であること。これ以上の父親像はないと思う。百歩譲って、嫌われないだけの父親でもいい。(略)愛されようとする父親の姿のほうが、同性として息子の尊敬を勝ち得ることになるだろう。

本書では、なぜそのような男が生産されるのか、社会学的に言及しています。なるほどと思う箇所もあり、DVが根深い問題、言い換えれば男性も被害者なんだろうなとの思いもします。最後に著者は愛される父親を提言しています。